東京高等裁判所 昭和34年(ネ)1714号 判決
証拠を綜合すれば次の事実を認めることができる。即ち訴外藤枝作雄は昭和三十一年三月三十日より相当以前から本件土地を所有者たる訴外守谷光喜から賃借しその地上にある本件建物を所有していたところ、昭和二十八年五月中旬頃郷里富山県から歌謡曲の勉強のため上京した訴外五十島静子が右作雄の妻である控訴人の姪であるところから静子の歌手として大成することになにくれとなく援助をしてきた上昭和二十九年頃から静子を本件家屋に住まわせるようになつたが、その頃から控訴人と静子の間に次第に感情のもつれを来し、遂に昭和二十九年十二月十一日静子は控訴人に傷害を加える事件の発生を見るまでに発展したので、右作雄はその解決策に腐心し、静子の恩師訴外山田貞子の斡旋により、訴外藤井光春弁護士立会のもとに昭和三十一年一月九日乙第一号証を作成し、作雄は静子に対し本件建物を贈与して漸く静子の怒を宥めることに成功した。然るに作雄は元々進んで本件家屋を静子に贈与する気持はなかつたことであり、容易に所有権の移転登記をしなかつたので、静子は作雄に対し登記等の請求の訴を東京地方裁判所に提起して同庁昭和三十一年(ワ)第一〇、三二二号事件として係属してたが昭和三十二年六月四日両者間に和解が成立し、作雄は静子に対し同年十二月三十一日迄に本件家屋につき所有権移転登記手続をすることを約しその旨の和解調書が作成されたこと、これより先昭和三十一年三月頃作雄は妻の控訴人と相携えて地主たる前記守谷光喜を訪れ、本件建物を静子に贈与したことを秘し従来守谷と作雄間に締結されていた賃貸借には契約書等を作成していなかつたのに、改めて借主を控訴人名義とし、期間を昭和五十一年三月三十日迄とし且その旨の賃貸借契約書の作成方を懇請したところ、守谷は賃借人名義が誰になろうと意に介せず、控訴人と右作雄とは夫婦であるからには名義はどちらであつても作雄から賃料を払つてくれるものと思い込み、両人の申出を容れ昭和三十一年三月三十日静子を借地人とし前記条項を記載した賃貸借契約証書(甲第二号証)を作成したこと(この頃控訴人は前記贈与の事実を知つていたものと認められる。)、一方静子はその後昭和三十三年一月六日本件建物を被控訴人に譲渡したことを夫々認めることができる。なお原審証人守谷光喜の証言によれば本件土地の所有者である守谷光喜は本件地上の建物の所有者が誰であつてもその建物の所有者なら本件土地を貸してもよいと考えていることが認められる。証人藤枝作雄の原審(第一、二回)並に当審における証言中本件土地の賃借人は始めから控訴人であり、作雄が本件建物を静子に贈与したことはなく、訴訟上の和解は静子の怒を宥める方便にしたことで作雄の真意に出たものではないのであつて、(乙第一号証の作成にあたり「土地は別」であることを明らかにした旨及び)守谷と控訴人との間に賃貸借契約書が作成されたのは賃貸借期間満了による更新の際に改めて書面を作成したに過ぎない旨の各供述部分はこれを除いた前顕各証拠に照し当裁判所の措信しないところであり、他に前記認定の妨げとなる証拠はない。
思うに建物の所有者がその建物を処分する場合は特に取毀家屋として処分する旨(又は他に引移す旨)を明らかにした場合を除いては当該建物をその敷地上にそのまま存置させるものとするのが通例であり、本件において作雄が静子に本件家屋を贈与するにあたつて前記特段の意思を明らかにしたことを認めるに足る証拠はない。そして、土地の賃借人がその地上にある所有家屋を第三者に譲渡する場合には、格別の事情のない限り譲受人たる第三者にその敷地の賃借権をも併せ譲渡する意思を有し且譲受人のために賃借権譲渡につき地主の承諾を得ることに協力する立場にあるものと解することが社会生活上の通念である。しかも地主守谷は家屋所有者に土地を賃貸してもさしつかえない意向、(従つて新所有者に建物の収去、敷地の明渡を求める意向はない)であること前説示のとおりである。かような場合に、仮に何らかの事情があつて地上建物を処分する者がその敷地の賃借権を留保したとしても、借地権の存続することを奇貨として民法第四百二十三条により土地の所有者に代位して建物の買受人に対し家屋収去土地明渡を請求するが如きは信義誠実の原則に反するものであつて、これを許すべきでない。
果して然らば藤枝作雄は本件家屋を五十島静子に贈与してその所有権を移転した以上、その敷地たる本件土地の借地権を留保したとしても所有者たる守谷光喜に代位して五十島静子或はその承継人に対し本件家屋収去の上本件土地の明渡を求めることは許されないものといわなければならない。ところで、本訴においては前法条による代位者は控訴人であるが、前記認定のように控訴人は作雄の妻であり、賃借名義人となつた経緯は前叙のとおりであり、作雄が本件家屋を静子に贈与した事実を知悉してその後に作雄の賃借人たる地位を承継したものである以上説示する諸般の事情を考慮すれば控訴人が地主守谷に代位して本件収去明渡を求めることは権利の濫用に属し、許されない。
(梶村 岡崎 堀田)